朝、2歳の娘に起こされてほっぺを撫でて高い高いをして、でも保育園に行くときには自分で片づけを終えるまで手を貸さずに待って、自分でできることは自分でできるまで手を貸さず、手を貸すとしても自分でお願いするまでは手を貸さない。できたことはもう自分事のように、彼女以上に飛び跳ねて喜ぶ。
このときの私の頭の中はずっと小学生の娘や中学生、大人になった娘が浮かんでいる。今どうしてやることが本当に娘のためになるのかと、そればかりグルグルグルグル思考している。
湊に来て、今度は我が子と全く別の子どもたちに出会い、デスクの前に呼び勉強の仕方を教えたり宿題を一緒にしたりしながら全部教えそうになるのを必死にこらえ自分でできるのを待ち、授業になれば色々な理由がついてくる宿題忘れを厳しく注意し即日の提出を求め、小テストに向けた準備の不徹底を問い詰める。そんな子が次にきちんと宿題をし、小テストの準備をしてきたときの嬉しさよ。
親御さんたちにとっての子どもたちは、私にとっての我が子と同じ。
至って当たり前なんだが、今日もそんなことを考えながら、自分の中の他人行儀を押さえつけて我が子同様に厳しく接する。